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【西洋の古典からたどる「探究学習」の源流】第5回:生活から学びは生まれるか――直観と「愛の教育」(ペスタロッチ)

5 日前
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更新日:3 日前


ペスタロッチ

はじめに:「またしても、私の夢は打ち壊された」

1799年、スイス。

一人の教育者が、自らの教育実践を振り返り、友人に宛てて手紙を書いていました。

その書き出しには、こんな言葉が残されています。

「私は、またしても夢から目を覚ます。」

原文:Ich erwache abermals aus meinem Traum.

(ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ『シュタンツだより』、1799年執筆・1807年公刊。訳は筆者)


彼は続けて、自分の仕事が再び打ち壊されたと嘆いています。気になるのは、「またしても」という言葉です。いったい、何があったのでしょうか。

手紙を書いたのは、ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ(1746〜1827)。近代教育の発展に大きな影響を与えた人物です。貧しい子どもたちのために開いた施設は経済的に行き詰まり、戦争で生活を失った子どもたちとの共同生活は数か月で中断されました。後にヨーロッパ各地から人が訪れるほど有名になった学校も、最終的には閉鎖されます。


教育史に名を残す人物の生涯が、これほど失敗や中断に満ちていたのは、なぜでしょうか。

今回は、ペスタロッチの実践と著作をたどりながら、「生活と教育」「経験と理解」「愛情と規律」の関係を考えます。そこには、現代の探究学習を考えるうえでも見過ごせない問題があります。


今回は、彼の人生をたどりながら、教育の「生活」「経験」「直観」、そして「愛」について考えていきます。そこには、現代の探究学習にも通じる、いくつもの興味深い問題が隠されています。



1.ルソーが構想した教育を、現実の生活のなかへ

前回は、ルソーの『エミール』を取り上げました。




ルソーは、子どもを単なる「未熟な大人」として扱うことを批判し、子ども自身の発達や経験を尊重する教育を構想しました。一方で、子どもの自由を守るための環境を大人が設計するとき、その自由はどこまで自由といえるのか、という問題も残ります。

では、そもそも子どもの生活環境を、大人が望むように整えられないとしたらどうでしょうか。貧困のために働かなければならない子ども、十分な食事を取れない子ども、戦争によって家族や住まいを失った子ども。こうした子どもたちにとって、社会の影響は将来の問題ではなく、すでに直面している現実です。


ペスタロッチは、ルソーの思想から強い影響を受けました。ただし、両者の違いを「ルソーは社会に無関心だったが、ペスタロッチは社会を見た」と説明するのは正確ではありません。ルソーもまた、社会と人間の関係を深く考えた思想家でした。


重要なのは、教育について考えた場面の違いです。『エミール』が一人の子どもの成長をめぐる思想的な構想として書かれたのに対し、ペスタロッチは、貧困や戦争の影響を受ける子どもたちと生活を共にしながら教育を実践しようとしました。そこで問われたのは、「子どもに何を、どう教えるか」だけではありません。子どもたちが置かれている生活条件のなかで、そもそも教育をどう成立させるのか。 ペスタロッチは、この問題に実践を通して向き合ったのです。



2.貧しい子どもたちの自立を目指した農場が、経営に行き詰まる


シュタンツの孤児たちとペスタロッチ

ペスタロッチは1746年、スイスのチューリヒに生まれました。幼い頃に父親を亡くし、青年期にはルソーの思想や社会改革の議論に触れます。関心を寄せたのは、とりわけ貧しい人々の暮らしと教育でした。


1760年代末、彼は現在のスイス・アールガウ州ビル村の近郊に土地を購入し、「ノイホーフ(Neuhof)」と呼ばれる農場を設けます。当初の農業経営はうまくいきませんでしたが、その後、貧しい子どもたちを受け入れ、綿糸の加工などの仕事と読み書き・計算の学習を組み合わせる施設を運営しようとしました。目指したのは、知識を教えるだけでなく、子どもたちが働くための技能を身につけ、将来の生活を支えられるようにすることでした。ところが、この施設も経済的に立ち行かなくなり、1780年には活動を終えることになります。


この試みで興味深いのは、ペスタロッチが労働と教育を、別々の営みとしてではなく、一つの生活のなかで結びつけようとしたことです。同時に、それを継続することの難しさも明らかになりました。子どもたちの成長に役立つ仕事であっても、施設の経営を支える仕事としても期待するなら、教育上の必要性と経済上の必要性をどのように両立させるのかが問われます。


この論点は、現在の職業体験や地域連携の活動にもつながります。活動から社会的な成果が生まれることには価値があります。しかし、その成果が期待されるあまり、子どもが何を経験し、何を学ぶのかが後回しになることはないでしょうか。

ペスタロッチのノイホーフでの試みを、単に「労働を取り入れた教育」として紹介するだけでは、この難しさは見えてきません。教育を現実の生活につなごうとすれば、教育は同時に、労働や経済の問題とも向き合わなければならないのです。


3.戦争の傷跡が残る町、シュタンツへ

1798年、フランス軍の侵攻によってスイスの従来の政治体制は崩れ、ヘルヴェティア共和国が成立しました。しかし、新政府の中央集権的な改革への反発も強く、同年9月、ニトヴァルデン地方ではフランス軍による軍事行動で多くの住民が被害を受けました。


ペスタロッチは、新政府が進める社会改革に期待を寄せていました。フランス軍の進軍を支持する立場を公に示していたことも、記録されています。ただし、彼はその進軍が深刻な流血や破壊をもたらすとは予想していなかったとされています。この政治的背景は、後の教育実践を理解するうえでも重要です。ペスタロッチがシュタンツで施設を任されたのは、新政府のもとでのことでした。一方、地域には新政府への不信感が強く、その支持者であり、カトリックが主流の地域では異なる宗派に属する彼も、住民から警戒されていました。


1799年1月14日、シュタンツに、戦争などで家族や生活の基盤を失った子どもたちを受け入れる施設が開かれます。開設から約6週間で、子どもの数は80人を超えました。世話をするのは、主にペスタロッチと一人の女性でした。政府による資金面の支援はありましたが、準備の時間が足りませんでした。子どもたちは厨房や部屋、寝具が整う前から集まり、建物は寒く、衛生状態も良くありませんでした。ペスタロッチは、入所した子どものうち、文字の初歩を知っている者は十人に一人いるかどうかだったとも記しています。


彼が始めようとしたのは、整った教室での授業ではありませんでした。まず多数の子どもたちが暮らせる場をつくり、その生活のなかで教育を始めることだったのです。しかし、施設を開き、食事と寝場所を用意すれば、すぐに教育が始まるわけではありません。次に立ちはだかったのは、子どもたちとの関係をどう築くかという問題でした。



4.「愛の教育」の出発点――子どもは愛情を信じなかった

ペスタロッチは、シュタンツでの経験について、次のように記しています。

「子どもたちは、私の愛をそう簡単には信じなかった。」

原文:Die Kinder glaubten nicht so leicht an meine Liebe.

(『シュタンツだより』、筆者訳)


彼は子どもたちと食事を共にし、病気になれば看病し、寝起きも共にしました。それでも、子どもたちがすぐに施設の暮らしに慣れたわけではありません。新しい生活を嫌がる子どももおり、家族に連れられて施設を離れる子どももいました。


ペスタロッチが考えていたのは、知識を教える前に、まず子どもたちとの信頼関係を育てることでした。彼は家庭が持つ教育的な働きを、共同生活を営む施設のなかでも実現しようとしたのです。そのために彼が大切にしたのは、道徳的な言葉を先に教えることではありませんでした。日々の生活のなかで安心や愛情を感じること、他者を助ける行為を重ねること、その意味を後から言葉で理解すること。彼は、こうした順序で道徳的な力が育つと考えました。この発想の面白さは、「親切にしなさい」と説くことと、人を助けることができるようになることを区別した点にあります。望ましい行為を言葉で知っているだけでは、それを自分の行動にできるとは限りません。ペスタロッチは、その間をつなぐものとして、生活のなかの経験や人間関係を重視したのです。


ただし、彼が語った「愛」が、現代の私たちが考える子どもの尊重と完全に重なるわけではありません。そのことは、同じ手紙に記された、もう一つの実践から分かります。



5.愛情を重んじながら、体罰も用いた

ここで、もう一つ原文を紹介したいと思います。

ペスタロッチは、シュタンツでの子どもたちとの関係を振り返るなかで、自分が厳格な態度を取り、体罰を用いたことを明言しています。


「(子どもたちに)荒々しさや粗暴さが現れたとき、私は厳しく接し、体罰を用いた。」

原文:Wenn sich indessen Härte und Roheit bei den Kindern zeigte, so war ich streng und gebrauchte körperliche Züchtigungen.(『シュタンツだより』、筆者訳)


さらに彼は、子どもとの間に日常的な愛情と信頼があれば、体罰がその関係を損なうとは限らないという考えも示しています。彼にとって、愛情と厳しい規律は対立するものではありませんでした。


今日の教育では、体罰は認められません。ここで検討したいのは、体罰の是非をあらためて曖昧にすることではなく、「愛」を教育の基盤に置いたペスタロッチ自身が、その愛と規律をどのような関係として捉えていたのかという点です。


彼は、子どもを育てるためには生活を共にし、信頼を築くことが必要だと考えました。そして、信頼のある関係のなかなら、強い働きかけも教育として成立すると考えていたのです。そこには、子どもを大切にするという意図と、教育者が望ましい行為へと導こうとする意図の両方がありました。


前回のルソー編では、子どもの自由を尊重するために大人が環境を整えることの難しさを考えました。ペスタロッチの実践からは、別の問いが生まれます。教育者の働きかけは、子どもとの信頼関係によって、どこまで正当化されるのでしょうか。


彼が生きた時代の教育観を理解することと、現在の教育で採用してよい方法を考えることは、区別する必要があります。それでも、愛情だけでは教育の働きかけの適切さを判断できないという問題は、現代にも残っています。



6.「直観」とは何か――見ることから、わかることへ

ペスタロッチの教育思想を特徴づける言葉の一つが、「直観(Anschauung)」です。現在の日本語でいう、根拠は説明できないけれど何となく分かる「直感」とは異なります。彼が重視したのは、対象を感覚で捉え、その認識を明確にしていくことでした。


1801年の『ゲルトルートはいかにその子を教えるか』では、次のように述べています。

「数・形・言葉は、共に教授の基本的な手段である。」

原文:Zahl, Form und Sprache sind gemeinsam die Elementarmittel des Unterrichts

(『ゲルトルートはいかにその子を教えるか』第6書簡、筆者訳)


なぜ、「数・形・言葉」なのでしょうか。

例えば、子どもが川辺で石を拾ったとします。石はいくつあるのか。どんな形をしているのか。丸い石と角張った石では、何が違うのか。その違いをどう表現できるのか。こうした問いを通して、目の前にあるものの捉え方が少しずつ明確になっていきます。

これは、実物に触れさえすれば十分という話ではありません。見たり、触れたりすることで得た経験を、比較し、区別し、言葉にする。その過程によって、対象についての理解を深めようとしたのです。


以前の連載では、アリストテレスの観察や分類、ベーコンの比較や検証を取り上げました。ペスタロッチの特徴は、それらと同じ思想を唱えたことではなく、子どもの認識が育つ過程そのものを、教育方法の課題として考えたことにあります。


現代の探究学習でも、自然観察やフィールドワークに出かけることがあります。その活動が楽しい経験になることと、対象についての理解が深まることは、重なり合いながらも同じではありません。


一方で、すべての経験をその場で説明させ、学習成果に変える必要もありません。遊びや驚きが、直ちに言葉にならないこともあるでしょう。教育として経験を生かしたいときに、どのような働きかけが認識を支えるのか。ペスタロッチの直観教育は、そこを考える手がかりになります。



7.自然な学びを支えるために、教育を「方法」にする

ペスタロッチは、子どもの自然な発達を尊重するだけでなく、その発達を支える教育方法を体系化しようとしました。『ゲルトルートはいかにその子を教えるか』では、学習の要素を取り出し、単純なものから複雑なものへと段階的に進める方法を検討しています。

ここで興味深いのは、経験を大切にした思想家が、教育の順序を細かく考えたことです。彼にとって、それは子どもの自然な成長を否定する行為ではなく、成長を支えるための試みでした。


その背景には、教育を一部の熟練した教師だけのものにしないという願いもありました。方法が整理されれば、教師や家庭の大人が学び方を共有し、より多くの子どもに教育を届けられる可能性が生まれます。


ちなみに、『ゲルトルートはいかにその子を教えるか』という著作には、意外な逸話があります。題名に名前が登場する「ゲルトルート」は、実は本書の本文には登場しません。ペスタロッチの小説『リーンハルトとゲルトルート』の登場人物にちなみ、出版社が販売上の理由から、本人に知らせず題名に採用したとされています。


さて、教育の方法を共有することには大きな意味があります。しかし、そこには現代の探究学習にもつながる難しさがあります。子どもが授業の途中で、予定とは違う疑問を持ったとします。その問いを追いかければ、あらかじめ決めていた学習の順序から外れてしまうかもしれません。教育者は予定した内容を優先するのか、それとも問いに応じて学びの過程を組み直すのか。


以前の記事「『探究しなさい』という矛盾」で考えたのも、こうした問題でした。探究を学校教育として広く実施するには、時間割や教材、指導方法が必要です。しかし、手順を守ることばかりが重視されれば、子どもが自分の疑問を追いかける余地は小さくなります。



もちろん、ペスタロッチの方法化と現代の探究学習を同じものとみなすことはできません。ただ、教育を広く届けるために方法を整えることと、一人ひとりの学びに応じて方法を変えることをどう両立するかという問いは、現在にも通じています。



8.「頭・心・手」は、三種類の活動をさせることではない

ペスタロッチの教育思想は、「頭・心・手(Kopf・Herz・Hand)」の調和という表現で広く紹介されます。知的な理解、道徳的・情緒的な働き、身体的・実践的な活動を、切り離さずに考えるということです。


その考え方を具体的に理解するには、シュタンツでの実践に戻るのがよさそうです。ペスタロッチは、子どもに善い行いを言葉だけで説明するのではなく、まず他者への親しみや信頼を育て、実際に助け合う経験を重ね、その後に行為の意味を理解していく過程を重視しました。


感じること、行うこと、考えること。それらは別々の授業時間に割り当てられる能力ではなく、一つの生活のなかで関わり合うものでした。例えば、子どもたちが料理をするとき、分量を量るには数の理解が、調理には身体の技能が、仲間と完成させるには相手と調整する力が必要になります。ただし、一緒に料理をしたという事実だけで、どの力も十分に育ったと結論づけられるわけではありません。何を経験し、何ができるようになり、どのような理解が生まれたかを見る必要があります。


大切なのは、知的な活動、身体的な活動、協働する活動を三つ並べることではなく、それらが実際の学びのなかでどう結びつくかを考えることなのでしょう。



9.なぜ、失敗を重ねても教育史に名が残ったのか

シュタンツでの試みは、1799年6月、建物が軍の病院として使われることになり、中断されました。ペスタロッチはその後も教育実践を続け、ブルクドルフを経て、1804年からイヴェルドンで学校を運営します。イヴェルドンの学校はヨーロッパ各地から注目を集め、1807〜1809年頃には、子どもと教師、教師になるために学ぶ人々など、合わせて約250人が生活する教育共同体になりました。


この学校には、興味深い実践が見られます。理解した子どもがほかの子どもに教えることもあり、野外で自然物を観察したり、長い徒歩旅行を学習に取り入れたりしていました。また、子ども同士を比較する成績評価や通知表は、意図的に採用しなかったとされています。個々の子どもの能力や発達を、それぞれの条件に即して見ようとしたのです。もっとも、学校の運営は安定していませんでした。十分な授業料を徴収せず、困窮した家庭の子どもを無償で受け入れたことなどから、経営は苦しく、教員間の対立も深刻になっていきます。そして1825年、施設は閉鎖されました。


しかし、ペスタロッチの思想と実践は、学校が閉じられたことで消えたわけではありません。経験を通して認識を育てること、生活のなかで人間全体の発達を考えること、それを多くの人が実践できる教育方法にしようとすること。こうした試みは、後の教育思想と実践に大きな影響を与えました。成功と失敗を分けて数えるよりも、彼が何を実現しようとし、どこで難しさに直面し、何を次の試みに持ち越したのかをたどるほうが、その生涯を理解できるように思います。



10.まとめ――生活から始まる教育は、誰の生活を大切にするのか

ペスタロッチの生涯をたどると、教育を成立させるための条件が、いかに多くのものと結びついているかが見えてきます。ノイホーフでは労働と経営、シュタンツでは戦争と共同生活、イヴェルドンでは教育方法の発展と施設運営が、それぞれ大きな問題になりました。

彼は、教育を知識の伝達だけに限定しませんでした。生活のなかで他者との関係を築き、行為し、経験を通じて認識を明確にしていくことを重視しました。同時に、その学びをより多くの子どもに届けるために、教育方法を整えようとしました。


では、生活から学びは生まれるのでしょうか。

生活には、学びのきっかけが数多くあります。しかし、同じ経験が誰にとっても同じ意味を持つわけではありません。そこから何に気づき、何を考え、どのような理解へと進むのか。教育者はその過程を支えることができますが、すべてを予定どおりに導けるわけでもありません。


経験を大切にしながら、経験に任せきりにはしない。その一方で、教育の方法によって子どもの発見を先回りして決めてしまわない。


この難しさは、現代の探究学習を考えるうえでも重要だと思います。

1799年、ペスタロッチは「またしても夢から目を覚ます」と書きました。それでも彼は、教育について考え続けました。彼の教育思想を古典として読む意味は、完成された正解を探すことではなく、彼が向き合った問題を、私たち自身の教育のなかでも考え直せることにあるのでしょう。


次回は、ペスタロッチの影響を受けながら、子どもの「遊び」に注目したフリードリヒ・フレーベルを取り上げます。自由な遊びを大切にすることと、それを教育として組織することは、どう両立するのでしょうか。

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